3歳からピアノを習う。
小学校時代は転校を繰り返し、そのためなかなか心を許せる友達ができなかったが、いつも歌やピアノと共に過ごしていた。
音楽には幼い頃から救われていた。
父が病気だったため、家計を切り盛りし、3人の子供を育てた母。
素直に母に甘えられず、内心はとても寂しかったが、そんな自分を慰めてくれたのもまた音楽だった。
ひとりぼっちの部屋でよく歌っていた。
歌を歌っていると不思議と元気が湧いてくる。
泣きたいとき、元気な時、口ずさむ曲は絶対同じものではない。
そんな音楽の不思議なパワーを感じていた。
その後、父が病弱だったために看護の道に進むことを決心する。
兵庫県立医科大学附属武庫川看護学校レギュラーコースに合格。
はじめての看護実習が始まるその日に阪神淡路大震災に見舞われる。
辛い経験も仲間と強い思いで乗り越え、国家試験に合格し、正看護師となる。
ほどなくして父が亡くなる。
その後結婚、出産。
長女が3歳になり、ピアノを習い始める。
同時に私もピアノを再開。
次女も3歳になるとピアノを頑張り始め、3人のピアノ生活♪
先生のご指導のおかげでピアノ講師となり、ピアノ教室を開講。
午前~夕方は病院、夕方からはピアノ教室という兼業生活が始まる。
病院で人に感謝されることにやりがいを感じつつ、精神的に疲れが出ることも。
それでも服を着替え、気持ちをリセットし、ピアノ教室が始まると、
ピアノの音色に癒され、生徒さんの笑顔に癒され、次の日も頑張れた。
それほど、音楽や生徒さんご家族はありがたい大切な存在であった。
そういう良い循環が、20年以上もこの兼業生活を継続させてくれている。
そしてある時、私は婦人科の病気で手術を受けることを決心。
自分が病気で苦しむ姿を家族に見せることで
家族に心配をかけたくなかった。
決心したものの、とても辛く、涙を流してばかりいた。
術後は音楽に心が癒され、そのことにより音楽療法などに興味を持ち
ヒーリング音楽で有名なまあふ研究所(旧日本ヒーリング音楽協会)
藤井郁子先生に師事をする。
音楽とともに人の心に寄り添う、とても素敵な先生だった。
その後、音楽の癒しJHMAヒーリング音楽コンクール本選では金賞を受賞。
自らの経験や看護師という職業を通して、
人の悲しみや苦しみに多く直面してきた私は、
音楽療法、
特に、対象が病気や障害を持つ人ではなく
健康である人が、病気にならないように
心身の健康の維持促進を目的とする、ヒーリング音楽の必要性も大きく感じ
教室屋号を「MUSIC PHARMACY.」に変更した。
屋号の意味は、『音楽のくすり箱』
いつでも家庭に置いてある常備薬のように、
いつでも音楽でストレスマネージメントができるようにという想いでつけた。
現在、神戸市西区で看護師&ピアノ教室を運営しながら
心の健康のためのレッスンや音楽カウンセラーとしても活動中。
毎日、ナースとして患者さまに寄り添いながら、
教室の方でも多くの生徒さんや親御さんのメンタルサポートを行い、
楽しくレッスンしている。
●講師 内多陽子
ヤマハPSTA指導者会員・ASTC会員
日本こども音楽教育協会認定
絶対音感指導士
脳育ソルフェージュインストラクター
音楽&アロマの音楽療法カウンセラー
正看護師
日本適性力学協会WDシニアプラクティショナー